アラフォー男のうつ病闘病記

アラフォー男性のうつ病闘病記です。病気のこと、気になったこと、趣味についていろいろと語っていきたいと思います。おっさんと言っていい年齢の男の復活劇(になるはず)なので、良ければ読んでいってください。

人生の残り時間

人生の残り時間

皆さんは自分の人生の残り時間を気にして生きたことがあるでしょうか?

 

私はありません。

 

恐らく皆さんもそうではないでしょうか。

 

普通に生きていたら、自分があとどのくらいで死ぬかなんて考えませんよね。

 

私の妻の母は、あと5年持てばいいと余命宣告されました。

 

末期癌です。

 

外陰部癌のステージ4、肺にも転移あり。

 

ステージ4。

 

もう後がないってことです。

 

私はこれを聞いたとき、もし自分の人生があと5年だったら・・・

そう考えました。

 

どう生きるだろう。

 

悲観して絶望に暮れながら鬱々と生きるだろうか。

 

受け入れて、5年間を有意義に生きようとするだろうか。

 

わかりません。

 

実際にそうなってみないと私には答えられない。

 

妻の母は受け入れているそうです。

 

悲観的になるでもなく、ただ淡々と医師の指示に従うと言っているそうです。

 

実際のところはわかりません。

 

内心は本人以外には計り知れないでしょう。

 

私が敬愛する心理学者のヴィクトール・エミール・フランクルは、いつでも、どんな時でも人生には意味があると言います。

 

置かれた状況は様々あれど、その状況に向き合う態度を決める自由だけは最後まで奪われないと言うのです。

 

これを「態度価値」といいます。

 

妻の母の5年間。

 

悲観して生きるのか、絶望して生きるのか、はたまた受け入れて有意義に生きるのか。

 

どれも自由です。

 

本人の意思次第です。

 

でも私は、もし自分がその状況に置かれたら、有意義に生きたい。

 

しっかり運命を受け入れた上で、最後まで意味のある人生を生きたい。

 

そう思います。

 

実際どうなるかはわかりません。

 

悲観するかもしれません。

 

絶望するかもしれません。

 

でも今は、今この時点では私は妻の母のように死を受け入れて、周りを気遣えるような生き方をしたい。

 

内心がどうであってもです。

 

実際なってもいないのになんとでも言えるだろう。

 

その通りです。

 

なんとでも言える立場に私はいます。

 

けれども、尊敬に値する態度をとっていらっしゃる妻の母には敬意を示します。

 

私もそうありたいと思う限りです。

 

今の私はまだ生きています。

 

どん底の状態ですが、まだ生きています。

 

前を向いて生きなければなりません。

 

殺された私の母の人生、これから死んでいく妻の母の人生。

 

無意味なものにはしたくない。

 

母のために私は幸せに生きていきたい。

 

妻の母のために、幸せな娘を最期に見せてやりたい。

 

だから私は這いあがります。

 

なんとしてでも這い上がって見せます。

 

奇麗ごとだの美談にするなだの言われるかもしれませんが、そんなことは私には関係ありません。

 

これは私の確固たる意志です。

 

私は幸せになる。

 

妻も幸せにする。

 

子供も幸せにする。

 

これが私の生きる意味だし、今置かれた状況に対する明確な「態度」です。

 

これは何人も否定することはできません。

 

私が人生において果たすべき意味です。

 

このために生きるのです。