アラフォー男のうつ病闘病記

アラフォー男性のうつ病闘病記です。病気のこと、気になったこと、趣味についていろいろと語っていきたいと思います。おっさんと言っていい年齢の男の復活劇(になるはず)なので、良ければ読んでいってください。

手記 最初の自殺未遂

最初の自殺未遂


2018年7月1日。


私は異動先に初出社した。


汚い、古びた建物、活気のない雰囲気。いやな予感しかしなかった。


中に入り、部長に挨拶をしてから、一通りの社員に挨拶をして回る。


正直な感想は「なんてレベルの低い事業所だ・・・」だった。


私は一部門を任されることとなり、部下も一名つくこととなった。


その私の直属の部下も、畑違いの部署から飛ばされてきた全くのド素人。


私と同様の左遷人事だ。哀れに思ったが、何も知らない上にトロ臭くて私はイライラさせられた。


直属の上司は優しい人だったが、やる気は全くなかった。


この人も、本来は経営陣に近い位置にいるほどの人物だったのだが、上層部とやりあって降格人事でここへ来たそうだ。


まるで掃きだめである。


私は私でめげずに必死にやった。


「そんなに頑張ってどうすんの?意味なくない?立て直せないよここ?」
そう言われもしたが、私には花形部門にいたというプライドがあった。


なんとしてでも成果を出す。そして元の出世コースに戻るのだ・・・
家族のために。


そう意気込んでいた。


そんなところに、そのエリア全体を総括するマネージャーが頻繁にやってきて口を出すようになる。


最初こそ、その人に盲目的に従って、言われたことは完ぺきにこなしていた。


しかし次第に、私の上司、その上の部長まで無視して指示を私に直接してくるようになり、私は職場で浮いた存在。煙たがられる存在になった。


その人は典型的なパワハラ上司だった。自分こそ正義、自分だけが正しい、自分に従わない者はクズでどんな扱いをしてもかまわない。


そんな人間だった。しかし業績を上げている人間であることには間違いなかった。本社からの評価も高い。


私のいた会社はABCDEの5段階評価を行っていたが、そのマネージャーは常にAだった。


それほど優秀だったのである。


私は、「これで正しいのだ、この人に従っていれば伸びるはずだ。」という思い込みの元、仕事に邁進していた。


1ヶ月が経過した8月1日。


業績の数字を見た私は愕然とした。


私の赴任前より圧倒的に落ちているではないか。


なんでだ?私は命令に従って完ぺきにこなしたはずだ。私が間違ったのか?何かまずい事をしていたのか・・・?まずい、まずい・・・このままでは何を言われるかわからない。


直属の上司も部長も守ってはくれない・・・私がやられる・・・。


そしてついに上がってきた報告書を見たエリアマネージャーが職場に飛んでくる。


私を見るなり「なんじゃこの数字はぁ!ボケェ!なめとんのか!あぁ?おっさん!」とやくざ顔負けの態度に豹変した。


私は怯え、竦み、ただただ、「すみません、申し訳ありません・・・」と答えるしかなかった。


その後も指示には従い、仕事を何とか続けていたが、今度は部長から「お前はいったい誰の部下じゃぁ!言うてみい!わしの部下じゃろうが!」と詰め寄られる。


「おまえマネージャーの犬か!言うてみぃや!どうなんぞ!」そう言われても答えようがない。言われても仕方がないなとも思っていた。


ここでも私は「申し訳ありません。おっしゃる通りです。」と言うしかなかった。
私は板挟みだった。


どちらについても角が立つ。


どう転んでも叱責される。罵倒される。


私は二進も三進もいかなくなっていた。


そこでついに私は職場で仕事中に涙するようになる。


なぜだかわからないが幼い頃、母と手をつないで保育園に行くシーンが再生された。私はうまくしゃべれず、新幹線を「いんかんけん!」といい、母が優しく「新幹線よ」と言う。また電信柱もうまく言えず、「でんきばぃら!」と言うのを母が「電信柱よ」と優しく言う。


2歳くらいだったろうか、まさかこんなことを思い出すとは思ってもいなかった。
優しい記憶に涙があふれだしてきて止まらない。


私はその日から、仕事が手につかず、誰も使わない空の個室で一人嘆くようになった。
暗い個室。誰も来ない個室。荷物置き場として使われていた。


その薄暗い部屋に籠り、隅で一人膝を抱えうずくまる。泣いていた。


業務時間のほとんどをそこで過ごしていたんじゃないだろうか。


どうしてもやらなきゃいけないことだけはやっていた。
それも杜撰な仕事になっていたが・・・
当然業績はボロボロ。


エリアマネージャーからはついに「あぁ?おまえ、潰すぞ、こら!」などと言われ始めた。


私の心はもう壊れていた。ズタボロだった。


いや、元から崩壊寸前だったのだ。


それがついに音を立てて砕けた。


絶望感・・・。


「もう死ぬしかない・・・」
そう思った私は、会社の帰りにホームセンターに立ち寄り、荷造り用のロープを買った。


首を吊るつもりだった。


首を吊る場所を探し、車で町中を徘徊する。


ついに山奥の人気のない公園にたどり着いた。


蒸し暑い熱気。まとわりついてくる蚊が鬱陶しかった。


休憩スペースの天井の梁を見やり
「ここならロープをくくれるな・・・」
とひどく冷静に考えていた。


あたりは薄暗くなり始めている。


時間は19時を回ったところだったろうか、夏なだけあってまだ外はほの明るい。
「遺書も用意してないや。」
「妻と子供はどう思うかな。ごめんな・・・。」
そう思った。


ベンチに立ってロープを首が吊れるようなんとか括り付ける。
「さぁ、あとはここに首をかけて足を離すだけだ・・・。」
そう思った瞬間、母の顔が浮かぶ・・・


妻も、子供も、父も、宗次も、みんなの顔が浮かぶ・・・。


死ねない・・・死にたいのに死ねない・・・
私は断念し、ロープをほどき車に戻る。


山を下りたふもとにあるコンビニでコーヒーを買い、タバコを吹かす。


これからどうしようか・・・もう仕事はできない。戻れない。


恐ろしい、怖い、死にたい・・・死にたい・・・もう生きていたくない・・・
私は電話を取り、直属の上司に電話をしていた。


なぜだかはわからないが、電話をしていた。


「すみません・・・首をつって死のうとしてました・・・死ねません・・・助けてください・・・。」
と泣きながら言った。


直属の上司は、ちょうど連休中で名古屋にいたようだ。


旅先にこんな電話をして申し訳なかったな・・・などと思いながら数分話をした。


上司は「今どこじゃ!そこ動くなよ!今誰か行かすけぇの!待っとれよ!変な気起こすなよ!」と言った。


私は居場所を伝え、電話を切った。車の外に出て、またタバコを吹かす。


何で電話したんだろ・・・誰が来るのかな・・・そんなことをボーっと考えていた。
上司が、会社側に連絡をし、部長が私を諭しに来た。


「おまえまじめじゃのぅ。そんなことで死のうとしてどうするん?この先何回死ぬかわからんぞ?」そう言われた。


しばらく話をし、「きちんと家に帰れよ!」と念を押され、私は無事に家に帰ることとなった。


なかなか家に帰りづらい。しばらくその辺をうろうろと車で走り回ってから、22時に家に帰った。


妻に事情を話す。


怒られると思った。


罵倒される覚悟でいた。


でも妻はそうしなかった。ここ最近の自分の態度と、帰りが遅い事から何かあったと察していたようだ。


「もうだめだ、仕事ができない、死にたい・・・。」と言う私に
「死にたいなんて悲しいこと言わないで!会社に言ってお休み貰おう?病院行こう?」
と優しく言ってくれた。


恐ろしくて会社に電話できないでいる私に変わって妻が会社に連絡をし、私は休職する事となった。


正式な休職ではなく、たまった有給休暇と特別休暇をフルに使っての休職であった。


そのため、収入面ではさほど困らずに済んだのは幸いであったと言える。


しかし私はもう会社に戻るつもりは無くなっていた。


辞めるつもりでいた。


戻ることが恐怖だったのだ。


次の日、予約なしで行ける心療内科を何とか見つけ、そこを受診することになった。
この時点でその病院がおかしいと気づくべきだった。


予約なしで行ける心療内科など、どんなところか今なら容易に想像がつく。


私は診察を受け、事情を説明した。


医師が言う。
「まぁねぇ・・・自殺未遂しちゃったら入院なんだけどねぇ?あんたどうしたいの?会社休みたいの?診断書なら書くよ?」
ひどい態度、ひどい対応。完全な藪医者だった。


あまりの対応に絶句し、怒りを覚えたが、今は休職するのに必要なものを貰わなければならない。


仕方なく私は屈辱に耐え、「診断書を・・・書いてください・・・」と言った。


診断書を貰い、恐ろしくて会社に行けない自分に変わって、妻に提出してもらった。


行くのが怖かった。


診断名は・・・「自律神経失調症
そんなわけがない。ただの自律神経失調症ならこんなにも苦しむものか・・・自殺などしようとするものか・・・


私はまぎれもなく「うつ病」であったし、この時点で入院すべきだった。
今はそう思う。


その後もなんだかんだで通院し、適当に出された抗不安薬を飲みながら、自室に引きこもって横になる日々。


しかし、事態は私が寝込んでばかりいるのを許さなかった。
裁判が控えていたのだ。