アラフォー男のうつ病闘病記

アラフォー男性のうつ病闘病記です。病気のこと、気になったこと、趣味についていろいろと語っていきたいと思います。おっさんと言っていい年齢の男の復活劇(になるはず)なので、良ければ読んでいってください。

手記 葬儀

葬儀


通夜が終わり、夜が明けた。


この日もすがすがしい春の陽気であった。


その日の朝は、葬儀場のロビーのラウンジでコーヒーをすすりながら、タバコを吹かしていた。


「禁煙が主流になっているのに葬儀場には喫煙スペースがいくつもあるんだな・・・」
そんなどうでもいい事を考えていた。


皆一様に落ち着きを取り戻し、父も落ち着いて普段通りとまではいかないが、笑顔を見せるようになっていた。


ラウンジでしばし談笑し、笑いあう。


朝の時間は平和な空気が流れていた。


消えようのない悲しみに包まれてはいたが・・・。


朝の穏やかな時間も終わりをつげ、午前10時、告別式が始まる。


僧侶の読経が終わり、親族がそれぞれ焼香を済ませ、つつがなく進行する。


お棺に花を添えたり、子供が書いた「おばあちゃんへのおてがみ」を入れたりして、故人を偲んだ。


この時私は初めて皆の前で涙した。


果たして自分のための涙だったろうか・・・?
おそらく、子供たちを思って、他の家族のことを思って泣いたのではないか。

今はそう思う。


自分自身のために哀しみを吐露することを、私は頑なにしなかった。


その後の葬儀は淡々と進行し、無事出棺となった。


弔電が続々と読み上げられる中、私の会社は弔電を出さなかった。


後に上司に理由を聞いたところ、人事部が風評被害を恐れたのが理由だそうだ。

まったく馬鹿げている。


私は自分の所属する会社に強い不信感を抱いた。


「何が風評被害だ、ふざけるな!社員の不幸に弔電一つ出せないのか!」
これが正直な気持ちだった。


憤懣やるかたない気持ちになっていたが、その後、出棺が行われ、マイクロバスに乗り、全員で火葬場へ赴くことになる。


母のお棺を前に、僧侶の読経が始まる。


それが終わり、ついに火葬となる。


お棺に泣きすがる父。


母に話しかけ続ける父。


どれほどの悲しみだったろうか。


苦楽を共にしてきた母との突然の死別がどれほどのものか、私には想像もつかなかった。

母を失った私たちもそれ相応に悲しみにくれてはいたが、それ以上のものがあったのだろう。


涙する親族。


私は・・・私は・・・
私は宗次を励ましていた。


「もう泣くのはよそう!いつまでもめそめそしてたら母さんに怒られるぞ!」そんなことを宗次の肩をたたきながら言っていた。


本心ではなかった。私だって嘆き悲しみたかったはずなのだ。


「なぜ嘆かない、なぜだ!なぜだ!」


そう思いながら。


私の心はずっと傷つき続け、軋み、砕ける音を発していたというのに・・・。


火葬が終わる。


変わり果てた姿になった母。母の骨。


「あぁ・・・母さんはもういないんだ・・・。」


そう思った。やっと母が死んだことを認められたのかもしれない。


私の感情は麻痺しているかのように動かない。


淡々と母の骨を拾い上げ、骨壺へ入れる。


涙は出ない。あいかわらず。


皆で納骨を済ませ、火葬場を後にした。


父が出てこない。


私は出てこない理由を察した。


一人嘆いているのだろう。


涙しているのだろう。


気持ちは痛いほどわかるくせに、自分はそれができないでいた。


その後、父の合流を待って、葬儀場に戻る。


みんなが集まったということで、記念撮影をし、母の遺影を受け取り、それぞれ別れのあいさつを交わして、その日は解散となった。


私たち家族は自宅に戻り、日常が始まる。


でも元の日常には戻れなかった。


私の精神はおかしくなり始めていた。


日中はうつろな表情で、反応も薄く、夜はなかなか眠れない。


表情が変わらず、妻に「何でそんなに淡々としてるの?」と言われる始末。


しかし自分ではどうにもならなかった。


どうしてもそうなってしまうのだ。


そんな日々が3週間ほど続き、私は会社に復帰した。


勤めて明るく振舞い、みんなに心配かけないようにと一所懸命に仕事をした。仕事をしている間は楽だった。考えずに済む。意識を目の前の業務に向けていれば心の平穏が保てる。


しかし、家に帰りたくない。


なぜかそう思うようになっていた私は、上司、同僚を誘い、酒を煽るようになった。


元々酒を飲むのが好きだった上司と同僚は快く誘いを受けてくれた。


今思えば何か察していてくれたんじゃないかとも思うが・・・
連日のように付き合ってもらい、荒れに荒れた夜を過ごした。


まるで自分の中の悲鳴を吐き出す場所を求めるように。


苦しみを消したいがために酒を煽った。


不思議と酔うと心の痛みが和らぐような気がした。


ただアルコールの作用で痛みがぼやけていただけなのだろうが。


毎日帰りが遅い事に妻に不満を述べられたが、気にしなかった。


飲みに飲んだ、荒れに荒れた。


こんな生活が一月ほど続いたころ、上司から衝撃的な言葉を告げられる。


「ヤマさん・・・異動になる・・・」
態度がおかしい。


まともな異動ではないことは容易に想像がついた。


移動先は実家と同県ではあったものの、閑職中の閑職だった。


人事は「事情を配慮しての異動」と言っていたようだが、私はわかっていた。


「ただのやっかいばらいか・・・」
そう一人苦笑する。


でもその時は
「まぁ・・・やってやるよ・・・俺が部署を建て直せばいいんだ・・・」
私の業務遂行能力を考慮すれば、そのくらいの自信はあった。


「何が左遷だ・・・見てろよ・・・見返してやる・・・・。」
そう決意した。


2週間で異動を完了させろとの通達だったので、急ピッチで引っ越し先を探し、引っ越しの手配をして家族で異動した。


異動先に挨拶に行った私は衝撃を受けた。


一様に暗い雰囲気、暗い表情、退廃的な空気の漂うオフィス。


「なんて覇気のない部署だ・・・やる気のかけらも何もない・・・大丈夫か?」
そう思ったが、実際その通りだった。


思った通り、社員の士気は低く、誰も改善などする気もなかった。


業績は下の下、もう手の施しようのないくらいの赤字部署。


「こんなのどうやったって無理じゃないか・・・」
私はそう思いながらも、私は異動先に出勤した。


ここから私の地獄が始まる。