アラフォー男のうつ病闘病記

アラフォー男性のうつ病闘病記です。病気のこと、気になったこと、趣味についていろいろと語っていきたいと思います。おっさんと言っていい年齢の男の復活劇(になるはず)なので、良ければ読んでいってください。

手記を公開していきます。まえがき・病院編

著書として出版しています。下記のリンクからよろしくお願いします。

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まえがき

本書は私に起こったとある事件をきっかけとした、うつ病、トラウマによる転落人生とその戦い、そしてわずかな希望の光を見つけるまでを描いた「事実をもとにしたフィクション」です。


登場人物は実在の組織、団体とは一切の関係はありません。


うつ病現代社会にありふれた病気であり、最早、現代病と言ってもいい病気です。
この物語はそんな現代における社会問題的な病について、リアリティのある描写で書かれた作品として書き上げました。

読者様にとってはショッキングな内容も多数あるとは思いますが、事実をもとにした、リアリティを追求した結果ですので、それも踏まえたうえでお楽しみください。


今、同じ病にある方が本書を手に取っていただけているなら、これほどうれしい事はありません。


また、うつ病でない方も、一つの知識として、本書を読み進めてみてください。きっと有益な知識になるだあろうと私は思います。

 

病院編
私は今でこそ、うつ病を患い、仕事もできない身ではあるが、以前は大手企業に正社員として勤めるサラリーマンだった。


仕事は順調、上司からの評価も上々で、次のステップへの昇進の話もいただけるなど、今後の順調な展望も見えていた。


また、仕事人間であったが、プライベートも大切にしていた。休日は会社に併設してあるジムに通い筋トレをする、またロードバイクでの長距離サイクリング、サイクリングイベントへの出場と多様な趣味生活を送る、まさにこれでもかと充実した日々。充実した人生。


心身ともに健康そのもの。


病気などとは無縁の若々しい肉体を保っていた。


そんな自分が、たった一本の電話で全て破壊されるとは露ほども思っていなかった。
それは唐突に訪れた。


2018年4月12日、私はその日の仕事を全て終え、コーヒーを片手に仲間と談笑を楽しんでいた。


次の日の予定、計画、バカみたいな冗談話。


タバコの煙で煙った喫煙室で色々な会話を楽しんでいた。


それが当たり前のように。


何食わぬ日常。

 

何食わぬ幸せ。


いつもと変わらぬ風景。


順調な人生。


これからもずっとこんな充実した、楽しい日々が続くのだろう。


仕事と家庭を両立した、理想的な人生が続くのだと、そんなことを無意識に感じるような一日だった。


あの電話が鳴り響くまでは。


唐突な着信メロディー。


談笑している私のスマホが鳴り出した。
「なんだ?こんな時間に。」
と不思議に思い、画面を確認したら父からの電話だった。


「なに?どうしたん?なんかあった?」
と、ごく自然に、あっけらかんと応答する私。
しばらく応答がない。


「もしもし!もしもーし!なんだ?もしもーし!」
そんな問いかけをしている内に気が付いた、受話器越しに物音だけが聞こえる。
何かともみ合うような音、私は嫌な予感にかられた。


その後、父が電話に出た。


うまくしゃべれない、くぐもった父の声。


私はその声の主が父だと認識できず、間抜けにも
「え?だれ?」
などと答えていた。


やはりくぐもった声で、うまくしゃべれない様子で父が答える。
「と、父さんじゃ!か、母さんが刺されたけぇ!」
言われたことを理解するのに数瞬の間が必要であった。


何を言っているのかわからなかった。


理解できなかった。


ただの冗談だと思った。


私は半笑い、でも少しひきつった表情で
「え、なんで?」と答える。


これも全く間抜けな返答であった。


父が慌てた様子で、必死な声で答える。


「とにかく!か、帰ってきてくれ!すぐ!今警察と救急車呼んだけぇ!」
そこでようやく事が尋常な事態ではないのだと私は悟ったのだ。


母が刺された、何で?誰に?何が起きてるんだ?
そんな事ばかりグルグルと考えていたように思う。


今思えば、まったくバカな自分に辟易とする。


少し考えれば何が起こっているのか、誰が刺したのかわかったはずだ。


自分はこの時点でおおよその事態を想像できていたはずだ・・・。


その後はどうしたらいいかわからない。


頭がパニック状態だった。


「なんだ?なんなんだ?どうすればいい?どうすれば!」
私の頭は混乱状態にあった。


とりあえず電話を切り、その場にいた全員に対して、
「母が刺されたって電話があったんだけど・・・どうしよう・・・」
などと言っていた。


どよめきの後、静まり返る一同。誰も事態を理解できていない、そんなこと日常ではありえないからだ。


普通に暮らしていればまずそんなことには遭遇しないだろう。
そのくらいの事態だった。


私はとにかく落ち着こうと禁煙中だったにもかかわらず、同僚に
「ごめん、タバコを一本くれないか?」と言う。


同僚は、「っ!いいよ、吸って落ち着こう!」といい、タバコを差し出す。
禁煙中だったにもかかわらず、もらったタバコを咥え、紫煙を吐く。


「スゥゥ・・・フゥゥ・・・」
長い溜息を吐き、ひとまずどうしようか思案するだけの心の余裕が持てた。
しかし頭の中は「どうしよう!どうしよう!どうすれば!どうすれば!」でいっぱいだった。


思考がまとまらない。


まごまごしている私に同僚が「とにかく!帰ろう!ここはもういいから!あとは任せて!」と言う。


そこで私はようやく「帰らねば!」と言う思考に行きついた。
次は帰る手段だ。


当時、都市部に住んでいた私は車を所有していなかった。隣県である実家に帰る足を思案しなければならなかった。

 

「電車は論外だ・・・新幹線で帰るか?いや、待つ時間が惜しい!・・・そうだ、レンタカーが近くにあった!」
そう思い立つや否や、私は同僚、上司に帰ります!とだけ告げて急いで会社を後にした。事情は帰りながら電話で話した。


職場近くのレンタカーショップまで走る。


息を切らせながら無心に走る。


都合よくレンタカーの会員になっていた私はスマホでその場で使える車を予約し、車にカードをかざして認証し、乗り込んで車を走らせた。


都市部を抜け、信号と帰宅ラッシュにイラつきながら何とか高速道路に入る。
高速道路を無心で飛ばしながら私はまだ現実感を持てていなかった。


「冗談じゃないのか?・・・なんだかんだいって、大したことじゃないんじゃないか?」
そんな思いが頭をちらつき始める。


自分の日常にそんなことが起こるわけないじゃないか。母が死ぬ?ありえないことだ。どうせちょっと怪我したくらいで済んでるに決まってる・・・
最悪の結末を信じたくなかった。私はそう思っていた。


実家までちょうど半分くらいの距離まで車を飛ばしていた時、また父からの電話が鳴り響く。


私は褒められたことじゃないが通話しながら運転していた。


緊急事態だ。出ないわけにはいかなかった。


嫌な予感がする。


胸がもやもやした嫌な気分。


「母さんは総合病院に運ばれたけぇ!刺したのは大輔(弟)じゃ!病院に直接来てくれ!」
父はそう言って電話を切った。


考えたくなかった。


心の奥ではわかっていた。考えていた最悪の事態だった。


当時弟が統合失調症を患っていたのは聞いていた。ひどい状態で入退院を繰り返し、家では暴れることもあった。


父や母への暴力も日常的にあるようだった。
「誰かが俺を見ている!監視している!オレは殺される!」
「父さんも母さんも俺を自殺に追い込もうとしている!命が危ない」
などと、支離滅裂な言動を繰り返していた。


弟が病気を発症したのはこの時から12年をさかのぼる。
「オレは頭がおかしくなった!」と言い始め、大学に行かなくなり、中退した。
その後、港湾作業員として働きだすも、突然「兄貴を昔殴った奴が職場にいる。あいつと一緒には仕事できない!絶対間違いない!」と言い出し、その場で職場を去った。当然解雇された。


父は「何を馬鹿なことを言ってるんだ!頭がおかしくなったっていう暇があるんなら真面目に働け!」と訴えを一蹴した。


父は何とか働かせようと、家業であった商店の手伝いをさせていた。
しかし全く仕事にならない。


これが弟の病状を最悪の状態まで悪化させる要因となった。
初期の段階で病院にかかっていればこうはならなかったかもしれない。
父と母が病気に気付いた時にはもう手の施しようのないほど悪化していた。
奇行も日常茶飯事だ。


何やらノートに書いたようだが、その内容は「殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
ひたすら殺すと書きなぐられていた。


無差別に人を殺すとまで書いてあった。


私はそれを覗き見て、戦慄したのを覚えている。


そういう事情もあって、ちょうど1年前までは私は転勤を断り、実家近くに住んでいたのだ。


その間も大輔は入退院を繰り返し、父が言うには、手を焼いた病院側が病院をたらいまわしにするような状態だったという。


ありえないことだが、医師が匙を投げたのだと聞いた。


もう手の施しようがないと。


しかし、母が「いつまでも入院させてばっかりじゃ大輔がかわいそうじゃけぇ、もう治らんなら家で面倒見ようやぁ」と父に言い、父が病院側に退院可能かと問い合わせたところ、退院可能と診断され、退院してくることになった。


私はそれを聞き、父と母に「本当に大丈夫?」と尋ねた。


「大丈夫じゃけぇ、任せてあんたは出世しぃね。」と言われ、私はキャリアアップのために転勤を受け入れた。


私のキャリアは順調だった。


その判断が、まさかこんな事態になろうとは・・・
しかしまだ私は頭の中で
「あの豪放磊落な母がそう簡単に死ぬものか!何とか生き延びてくれるに違いない!」
そう思っていた。


母は派手好きで陽気で、みんなに好かれる人間だった。殺しても死なない。そんなイメージがぴったりの人だ。


だから私は母が死ぬなんて想像もできなかったし、信じたくなかった。


しかし焦る気持ちは私を急がせ、これもまた褒められたことじゃないが、高速を限界ギリギリで飛ばしながら搬送先の病院へ向かった。


会社を出たのが18時半。


病院に着いたのは20時過ぎだったと記憶している。


病院に到着し、中に入るが、時間が時間だけに誰もいない。


受付にも通路にも看護師も医師も一人もいない。


私はイライラする気持ちを抑えながら父を探す。


父の居所を探しながら病院中を走り回っていたら大怪我をした父と出会った。


もう治療は済ませていたみたいで大丈夫そうではあったが、あちこち骨折しているようだった。


体重100キロを超える、柔道2段の大男との格闘だ。


無事で済むはずがない。


私が口を開こうとしたまさにその時、父の口から事実を告げられた。


「母さん死んでしもうた・・・。」


絶句した。意味が分からなかった。理解できない。


「一体何を言ってるんだ・・・?」
「何だって?死んだ?母さんが?」
私の頭は真っ白になっていた。事実がうまく呑み込めない。


うまく呑み込めないものだから怒りも悲しみもわいてこない。


父も嘆くでもなく、怒り狂うでもなく、どこか淡々としていた。


そんなところに一番下の弟である宗次が到着した。


やはり自分と同じような反応だった。


事態が呑み込めず、淡々としている。


誰一人として事実を飲み込めた者などいなかったのだ。


母はどこかを私が尋ねた。


今は警察が司法解剖のため警察の安置所に運んでいるから会えない、これから事情聴取と証拠物品の確認がある、とだけ父から告げられた。


病院で警察の対応を待っている間、待合室の椅子に座っていた。


目の前に、今まさに出産しようとする妻を待つ男性がいた。


「皮肉なもんだなぁ・・・」
と独り言ちる。